2026年10月31日〜11月1日,大阪学院大学(大阪府吹田市)で開催された 日本音楽知覚認知学会 2026年度秋季研究発表会 において,口頭発表を行ってきました.

日本音楽知覚認知学会 2026年度秋季研究発表会の案内看板の前にて

発表情報

  • 発表題目:ピッチ偏差の三軸分解による Sprechstimme 解釈差の可視化 ―Schoenberg《月に憑かれたピエロ》No.7 の事例分析―
  • 著者:鈴木源吾(開志専門職大学 情報学部)
  • 会議:日本音楽知覚認知学会 2026年度秋季研究発表会
  • 会期・会場:2026年10月31日〜11月1日/大阪学院大学(大阪府吹田市)
  • 発表日時:11月1日(日)10:00〜(口頭発表3 セッション先頭)
  • 発表番号:JSMPC2026(2)-13
  • 形式:口頭発表

研究の概要

問題:「語る声」の実現は,演奏者によって大きく違う

シェーンベルク《月に憑かれたピエロ》(1912年)の語り手は,シュプレッヒシュティンメ(Sprechstimme,「語る声」)で演じます.音高もリズムも五線に書かれていますが,符尾に×印が付いていて,歌とは違うものとして実現することが求められます.シェーンベルク自身が初版スコアの序文で「記譜された音高を十分に考慮しつつ」語る旋律に変換せよと書いていますが,どの程度考慮するのか,どう音高から離れるのかは一つに定まりません.

そのため実際の録音では,演奏者によって実現が大きく異なります.この違いはこれまで主に聴取によって記述されてきましたが,録音をまたいで同じ物差しで比べる 再現可能な定量化 は欠けていました.

方法:楽譜からのずれを三つの軸に分ける

対象は第7曲〈病める月〉の4区間と,5種類の録音 です.

  • bou-1961:H. ピラルチク/ブーレーズ指揮(1961年)
  • ath-1973:M. トーマス/アサートン指揮(1973年)
  • bou-1977:Y. ミントン/ブーレーズ指揮(1977年)
  • her-1991:M. プスール/ヘレヴェッヘ指揮(1991年)
  • hul-2012:A. カイエッロ/フーラ指揮(2011年録音)

録音から音源分離(Demucs)で声を取り出し,基本周波数(F0)を推定(pYIN)して,音符ごとの高さを楽譜と比べます.そのずれを,次の三つの軸に分解しました.

  • register(どの高さで) — 楽譜に対して全体をどれだけ上下にずらしたか
  • range(どれだけの幅で) — 楽譜の音程の幅をどれだけ広げた/狭めたか
  • contour(どんな形で) — 音程の並びの形をどれだけ保ったか

さらに,contour の守り方が曲の中でどれだけ揺れるか(σ_contour)も見ることで,録音を3つの型に整理しました.

結果:5録音は三つの方向に分かれた

5録音のレーダーチャート。中心が楽譜どおりで,外側ほど逸脱が大きい。bou-1961 は上の register 方向に,her-1991 は左と下の contour 方向に大きく伸びる

  • 楽譜忠実型(3録音):ath-1973,bou-1977,hul-2012 は,音高の面ではいずれも楽譜の近くに集まりました(register のずれは 23〜30 セント).
  • 移高朗誦型(bou-1961):旋律の形はほぼ保ったまま,全体を 約 670 セント(6半音以上) 低く実現しています.
  • 動的型(her-1991):区間によって輪郭を守ったり崩したりします.

her-1991 の切り替えは,録音全体の中央値だけを見ていると分かりません.下の図の左側のとおり,contour の相関は 1.00(5小節)から −0.50(18〜19小節)まで動きます.この振れ幅(σ_contour = 0.64)は,他の4録音(0.04〜0.07)より一桁大きい値でした.

5録音の区間ごとの contour と range。her-1991 だけ contour が 1.00 から −0.50 まで大きく振れる

もうひとつ興味深かったのが,同じブーレーズ指揮の16年差の比較 です.1961年盤から1977年盤へ,register は約 640 セント,range は 0.83 から 1.04 へと楽譜側に動きましたが,contour はもともと高く(0.87 → 0.96),大きくは変わっていません.旋律の形を共通の土台として,高さと幅だけが歌の側に寄った,という見え方です.ただし両盤は語り手が異なるので,これが指揮者の解釈の変化なのか,語り手の違いなのかはこの分析では分離できません.

なお,閾値や解析条件を動かす感度分析でも3つの型への分類は変わりませんでしたが,標本は5録音 です.3つの型は分布を推定したものではなく,この5録音を共通の物差しで整理するための記述的な語彙です.

分析コード・メタデータ・派生データは GitHub(ggszk-lab/sprechstimme-pitch) で公開しています(音源は含みません).

質疑でいただいたコメント

今回は2件のコメントをいただきました.どちらも指標の細部ではなく,F0 だけでどこまで言えるのか という,研究の射程についての指摘でした.

  • 「楽譜に忠実」とは何か:楽譜に忠実であることには,いろいろな要因があるのではないか.おっしゃるとおりで,今回測っているのは F0 に限られ,音程を数列として見ているにすぎません.序文が求めているものにはリズムの厳守も含まれており,本来はリズムなども見るべきです.「楽譜忠実型」という呼び方が測った範囲を超えて聞こえないかは,論文化の際に見直します.
  • 語りは総合的な表現である:シュプレッヒシュティンメの実演は,音高だけでなく語り的な表現などを含む総合的なものであり,F0 以外のさまざまな要因を考慮するように進めるべきではないか.実演を聴かれた経験にもとづく,非常に重要なご指摘でした.情報処理で測れるものには限界があるので,何を測り,何を音楽的な分析に委ねるかのバランスが必要だと考えています.

おわりに:題材を知らない聴衆に届ける

参加者は20数人で,この曲を聴いたことがある方はそのうち5人前後でした.質疑もあまり活発にはならず,題材が聴衆にとって少し遠かったという印象です.SIGMUS の報告で「どの聴衆に何を差し出すか」を課題に挙げましたが,今回は作品そのものの紹介から始める必要があることを改めて感じました.

いただいた2件の指摘は,英語論文の準備と次の研究に直結するものです.音高の先にあるリズム,声の質,語り口のうち,どこまでを測定の対象にできるのかを整理しながら,引き続き取り組んでいきます.