2026年8月31日〜9月2日,北海道情報大学(北海道江別市)で開催された 情報処理学会 音楽情報科学研究会 第147回研究発表会(夏季シンポジウム) での発表報告の2件目です.
本記事は 9月1日に発表した「クラリネットビブラートの3軸並列観測」について.1件目(奏者の類似度分析)は別記事にまとめています.
発表情報
- 発表題目:クラリネットビブラートの3軸並列観測 — 歴史的録音6件における AM/FM/timbral 分解と流派差の音響的根拠
- 著者:鈴木源吾(開志専門職大学 情報学部)
- 会議:情報処理学会 音楽情報科学研究会 第147回研究発表会(夏季シンポジウム)
- 会期・会場:2026年8月31日〜9月2日/北海道情報大学(北海道江別市)
- 発表日時:9月1日(火)16:15頃〜
- 形式:一般口頭発表
研究の概要
「クラリネットのビブラートには流派差がある」を音で裏づける
クラリネットのビブラートは,イギリス・フランス・ドイツで大きく異なることが,演奏実践の世界では古くから語られてきました.しかし,それを 信号処理的に裏づけた研究はほとんど存在しません.
もうひとつの問題は,ビブラート研究が伝統的に 音高(F0)の揺れ ばかりを見てきたことです.声楽やヴァイオリンならそれで足りますが,クラリネットは音高がほとんど動かないまま,音量や音色だけが揺れることがあります.F0だけを見ていると「ビブラートをかけていない」と誤判定してしまうのです.
方法:音高・音量・音色を並列に観測する
そこで本研究では,モーツァルト《クラリネット協奏曲 K.622》第2楽章 第59小節のカデンツァに対象を絞り,歴史的録音6件(イギリス系4,フランス1,ドイツ系1を対照群)を分析しました.同じ1箇所に固定することで,録音間の比較が成立するようにしています.
観測するのは次の3軸です.
- F0(音高) — セント単位
- RMS(音量) — dB 単位
- スペクトル重心(音色) — Hz 単位
各軸を 4〜10 Hz の帯域でフィルタしたうえで揺れの深さ(extent)と速さ(rate)を求め,さらに 3軸の揺れの速さが揃っているか を判定する指標を導入しました.
結果
- F0 の揺れは声楽の典型より1桁小さい.クラリネットのビブラートが音高変調(FM)ではなく 音量変調(AM)主体 であるという仮説と整合します.
- 音色の変調(スペクトル重心の extent)が,録音間の差を最も明瞭に反映しました. 6録音が Kell 1940(338 Hz)から Leister 1971(68 Hz)まで系統的に並びます(約5倍の幅).

- ただし,これは「ビブラートの量」の一次元的な順位というより,質的に異なる三つの型 として記述するのが適切でした.イギリス系=3軸同期型(3軸が揃って揺れる.同期率 67〜89%.ただし同じイギリス系でも de Peyer 1959 は 44% と外れます),フランス=音色選択型(同期率は 25% と低い一方,音色の揺れだけが 7〜8 Hz に速く乖離する),ドイツ系対照群=抑制型.なお フランスとドイツはそれぞれ1録音のみ であり,「流派の型」と一般化するには標本が足りません.本研究で言えるのは,この6録音の範囲で観察された記述です.
- フランスの音色選択型は,フランス派の特徴として語られてきた「ちりめんビブラート」(非常に速い細かな震え)に,音響的な裏づけを与える最初の観察だと考えています(上記のとおり,1録音にもとづく観察です).
- 音量の揺れと音色の揺れが,区間ごとに一貫して逆相になる(音高と音量の間には系統性がない)ことも見つかりました.単リード楽器の機構と声道の共鳴が結合した,アンブシュア(口の形)駆動の音量変調 というメカニズム仮説につながる所見です.

上の図は,その逆相がはっきり見える区間の例です.音量(オレンジ)が上がるときに音色(緑)が下がる,という関係が周期を通じて保たれています(相関 −0.96).一方,音高(青)はほとんど動いていません.なお,この図は 4〜10 Hz の帯域を通したあとの波形なので滑らかに見えますが,フィルタ前の生の系列でも音量と音色の相関は −0.89 で,逆相そのものは処理の産物ではありません.
いただいたコメント
この発表では2件のコメントをいただきました.いずれも方法そのものではなく,研究の設計をどう広げるかについての提案でした.
- ビブラートは音楽的文脈によって変わり,奏者の判断で行われているのだから,そこも考慮すべきではないか(プロ奏者へのヒアリングをサックス奏者も含めて行うとよい,というご提案もあわせて).本研究はカデンツァ1箇所に固定することで録音間比較を成立させていますが,裏返せば 文脈依存を測れない設計 です.このトレードオフを限界として明示すること,そして同一奏者内で文脈を振る設計を次の軸に据えることを持ち帰りました.サックスというご指摘も,単リード+アンブシュア駆動という機構仮説がサックスと共有される以上,的確なものでした.
- ジャズのビブラートはどうなのか.ベニー・グッドマンはクラシックの録音も残しており,どんなビブラートが受け入れられ/受け入れられなかったかが分かるとよい.対象の拡張提案に見えて,実は現行コーパスに直結する強い提案でした.いまの流派比較は「奏者が違う」ことと「流派が違う」ことが交絡していますが,グッドマンなら 同一奏者で規範だけが変わる 対照が得られます.しかも彼は本研究のコーパスに含まれる レジナルド・ケルに師事 しており,流派は国籍で決まるのか師弟系譜で伝わるのか,という問いに追加録音1〜2件で接近できます.
おわりに:発表内容と聴衆の対応づけ
今回,1件目(奏者の類似度分析)と2件目(本発表)で会場の反応が対照的だったのは,個人的に大きな学びでした.音楽情報科学研究会は情報科学・MIR(音楽情報検索)の聴衆であり,そこに 演奏音楽学的な「流派の記述」を差し出したのが今回の発表です.返ってきたコメントが方法の妥当性ではなく対象の広げ方についてのものだったのは,そのためだと考えています.
同じ素材でも,「ビブラートの検出手法」として出せば MIR の聴衆に,「単リード楽器の変調メカニズム」として出せば音響学の聴衆に,「流派と受容史」として出せば演奏研究・音楽学の聴衆に届きます.どの聴衆に何を差し出すかを論文ごとに設計し直すこと — これが今回いちばん持ち帰った課題です.いただいたグッドマンの示唆とあわせて,次の論文の組み立てに活かしていきます.